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20世紀初頭に流行したアメリカのファッションを、参考になりそうな映画と一緒にいくつかあげてみました。

年表




服装

キャンディの着ている服はどれもかわいくて、子供の頃あこがれていた人は多いかと思います。
『Soirée vol.30』の作画家へのインタビューによると「6回連載だった予定がエンドレスに変わってからは『キャンディ〜』一色の”キャンディ漬け”の日々。どんな服を着せたらかわいいだろうか、どんなポーズにしようかとか、常に頭から離れなかった」そうです。
「キャンディのファッション」への力の入れようが感じられる言葉です。

<ストライプ柄・リボン>

【ストライプ】
キャンディといえば「ストライプ」と「リボン」。
『キャンディ・キャンディ・ボックス』の作画家へのインタビューによると、ミュージカル映画『サウンド・オブ・ミュージック』や『あしながおじさん』のファッションを参考にしたとある。

 ・子供達がカーテンで作った洋服で同じものを着る。
 ・寄贈されたギンガムチェックの山のような反物で、全員がギンガムチェックを着る。

など。
キャンディのイメージカラーのようなものとして「ストライプ」を選んだそうです。



1930年代のオーストリアのザルツブルグが舞台のミュージカル。
修道女見習いのマリアは、退役軍人の家の7人の子供達の家庭教師となる。 父親の教育は軍隊のように厳しく、子供たちは家ではいつも制服を着ている。
そんな子供たちのために、マリアはカーテンでおそろいの遊び着を作ってあげる。
「ドレミの歌」と「エーデルワイス」が有名。

マリアがよく遊びに行く山のシーンは、「ポニーの丘ってこんな感じかも」と思わせるものがあります。
ミュージカルなので歌や踊りという明るいシーンばかりかと思いきや、ナチに抵抗する一家が追い詰められていくシーンなど、ドイツによるオーストリア併合という暗い時代であったことも描かれています。



出演: フレッド・アステア、レスリー・キャロン
ミュージカル。歌よりダンスが中心です。
時代は原作とは違い、映画が制作されたのと同じ1950年代が舞台。
孤児院の子供達全員が青いギンガムチェックの服をきている。


【リボン】
「リボン」は、1908年に世界的に大流行したそうです。
日本では1907年 (明治40年) に大流行。1912年(大正元)に、「女学生のリボンが大きくなる」。「はいからさんが通る」のような感じでしょうか?


<セーラー服>
マンガでは、幼少期のテリィと母エレノアが引き離される悲しい別れのシーンがありますが、テリィのセーラー服姿すごくかわいいですよね。
当時は子供がセーラー服なんて着ていたのでしょうか?

セーラー服がイギリス海軍の制服になったのは1857年。
そして子供服になったのは、ヴィクトリア女王(1819-1901)がエドワード・アルバート皇太子(当時5歳)にセーラー服をきせたことがきっかけでした。それ以降、世界的に流行。
日本では1911年(明治44年)に、セーラー型子供服が販売され流行しました。
(※20世紀初頭の日本で、洋服は良家の子女のお出かけ服でした)


<シルク>
シルクのリボンはイライザのセリフ 「あのリボン、シルクだわ」 でずっと気になっていたのですが、シルクは1910年代ではまだまだ高値で、庶民が簡単に買えるものではなかったようです。20年代になってやっと庶民が入手可能に。
高級品でもラガン家くらいなら買えるだろうと思いますが、子供にはまだ早すぎるというラガン夫人の判断でしょうか?

『シカゴ日系百年史』によると、20世紀初頭のキャンディの時代にシカゴで暮らしていた日本人は、シルクや陶器やお茶の卸商か、安手の洋食店を開いていたとあります。
「えっ? 日本人とシルク?」と思いましたが、1909年に日本では生糸の輸出量は世界一で、最大の輸出先はアメリカでした。(※その頃日本は「ああ、野麦峠」の時代)


<タータンチェック>
スコットランド」に詳細を書きました。

<ジーンズ>
【リーバイス (Levi's) 】
リーバイス (Levi's) は、1853年にリーバイ・ストラウスがアメリカで創業。
ドイツ移民であるリーバイは、ゴールドラッシュで沸くカルフォルニアで採掘者相手にジーンズなどの生地を売っていました。
1873年に作業ズボンの製法(衣料品のポケット補強に金属リベットを使用する方法)の特許を取得。「リーバイ・ストラウス501」の誕生。

映画『理由なき反抗(1955)』でジェームズ・ディーンがはくまでは、ジーンズはファッションというよりは作業着でした。 ジェームズ・ディーンが愛用していたのは「リー(Lee)」。


<水着>
キャンディの時代前後の流行水着。
年代
流行した水着のデザイン
1890〜1900
(キャンディより前)
素材: サージ、アルパカ、フランネル
ハイネック、ぴったりした胴部、羊脚型とよばれる肘丈までの袖、膝丈のスカートの下にブルマー、黒の長靴下、ローヒールの靴
1900〜1910年代前半
(キャンディの時代)
泳ぎやすい水着になる。
サマードレス風のものが登場。ブルマー、黒靴下
1912年に水着ブランド「Catalina (カタリナ)」水着が登場。
(※アメリカの大手水着メーカーのブランド。今はわかりませんが、ミス・ユニバース(1951年〜)のコンテストの水着は「カタリナ」だったそうです)
1913年に「ジャンセン社」がゴム編みの編地を利用した水着を開発。
1910年代末
(キャンディ以降)
肌の露出が徐々に拡がる。
コルセットを着けなくなる。
襟はローネック、キャップ型の袖、スカートは膝上15センチのものが出現
1920年代〜
(   〃   )
1921年、アメリカで世界初の水着美人のコンテスト開催。
バックレスや体の線がわかるものが流行(ただし、シルエットは今のようなセクシーなものではない)
著名デザイナーが水着を制作。
参考文献   『水着の文化史 (木村 春生 著) 現代創造社』

エルロイ大おばさまが着ていた、いかにも「水着です」というシンプルなランニングスタイルというのは1924年に登場。大おばさま流行先取りです。でも当時としてはセクシー過ぎ。
ビキニはずっと後の1946年(第二次世界大戦後)に登場。その後、露出度はエスカレートし、1964年にアメリカのデザイナーがトップレスの水着を発表。


<下着>
【コルセット】
20世紀になると、19世紀のようなきつく締め上げたという感じのコルセットではなく、自然な感じに整える「着けていないかのような」タイプに変わっていきました。
第一次世界大戦の頃から、社会に出て働くようになった女性にとって働きづらいコルセットや長いスカートは姿を消していきます。
『コルセットの文化史』によると、「軍需最優先の戦時下でコルセットに使われていたスチールも軍用に再利用するため徴発された。アメリカ軍需産業局の資料によると、戦争中に供出されたコルセットのスチールは二万八千トンにも及び、これは戦艦二隻を新造できた量だった」とある。
今でいったらブラジャーのワイヤーを持っていかれるような感じでしょうか? (^^;)

【ブラジャー】
ブラジャーは1907年に「ヴォーグ」誌に登場。
1914年にニューヨーク社交界の華であったメアリー・フェルプス・ジャコブがブラジャーの特許(二枚のハンカチーフ状の布と細いリボン)を取得。
当時のブラジャーの特徴としては、「バストを強調するのではなく、平たく軽くおさえるタイプ」だったそうです。
参考文献   『コルセットの文化史 (古賀 玲子 著) 青弓社』


<女優のファッション>
20世紀初頭、当時はファッショモデルなどいなかった時代。舞台女優はつねにファッションリーダーであり、女性たちのあこがれの的でした。ファッション雑誌のモデルにもなっていました。
(※他にオペラ歌手やオートクチュールのお客である社交界の貴婦人などもファッション写真のモデルとなっていた。社交界の貴婦人をモデルにするといい宣伝になったそうです)
アメリカのファッション・モデルの第一人者は、1915年〜1920年に活躍したドレロス・レジャイナ。彼女は『ヴォーグ』の最初の専属写真家であるアドルフ・ド・マイヤー男爵のお気に入りのモデルでした。モデルになる前は、ブロードウェーの天才的舞台プロデューサーであるジーグフェルドのレビュー『ジーグフェルド・フォリーズ』に出演していたショウ・ガールでした。 20世紀初頭、ファッション界とショウビジネス界、そして社交界のつながりは、今以上に密接だったようです。
モデル業が職業として受け入れられるようになるのは1930年代になってからだそうです。



1912年のアメリカが舞台。
熱狂的な人気を誇る舞台女優と1980年代の青年の時を越えたラブストーリー。
【ファッション関連のキーワード】
女優の舞台衣装/キャンディ時代のファッション/インテリア



<フランス空軍に入ったアメリカ人パイロットの服>
第一次世界大戦でアメリカ参戦前の1917年に、ステアのようにフランス空軍に入隊したアメリカ人パイロット達がいました。
ライト兄弟が初飛行に成功してからたった10数年後。当時は飛行機に乗るということは、今でいえば宇宙飛行士になるようなものでした。
初期メンバーの38人中8人がお金持ちの子息であり、他にはアメリカでの生活から逃げ出したものや、プロボクサーだった黒人もいました。
志願理由はいろいろですが、皆、アメリカでは見つけることができなかった、またはかなえることができなかった何かを求めて、そして飛ぶことを一番の目的として志願しました。
フランス軍以外は将校でないとパイロットにはなれなかったようですが、フランス軍は兵卒でもなれました。
パイロットは待遇面ではかなり優遇されていて、アメリカ人の彼らも同様でした。歩兵たちは塹壕で寝ましたが、パイロットは飛行場近くの邸宅に住むことができたそうです。

『フライ・ボーイズ』は、実在したアメリカ人義勇航空兵部隊「ラファイエット飛行隊」の実話に基づいて描いた作品です。登場人物の名前は変えていますが、一部実在の人物をモデルにしています。
ステアの戦死後の話なので、比較的初期に志願したステアの頃と微妙に状況が違うかもしれませんが、フランス軍の制服・パイロットの服など参考になるかと思います。



出演: ジャン・レノ (フランス人の上官役)
第一次世界大戦のフランス軍に志願したアメリカ人パイロット達。
【ファッション関連のキーワード】
パイロットの服/ゴーグル



<従軍看護婦の白衣>
マンガでは特に書いてありませんでしたが、史実とあわせるとしたら、フラニーはアメリカ参戦前なので、「赤十字の従軍看護婦」として派遣されたことになるかと思います。
当時のアメリカの医療関連の本はあまり見つからなくて、下記にあげるヘミングウェイ関連の映画や本くらいでした。
映画の舞台はイタリアの前線なので、(フラニーではなく)アルバートさんがいた野戦病院のようなシーンがあります。



主演: サンドラ・ブロック
監督: リチャード・アッテンボロー
第一次世界大戦のイタリア前線でのアメリカ赤十字が舞台。
若き日のヘミングウェイと従軍看護婦の恋愛。
【ファッション関連のキーワード】
アメリカ人従軍看護婦の白衣/1910年代後半の服装


余談ですが、当時のイギリスの医療制度関連の本に、赤十字アメリカ人従軍看護婦のことが少し書いてありました。
イギリスの従軍看護婦は、理想を追ってきたお嬢様が多く (使い物にならない見習いばかり) 、腕のいいアメリカ人看護婦が派遣されたときはすごい歓迎だったようです。
キャンディのマンガでは、「婦人たちが医療事業団をつくって戦地へいくのを希望しているの」というパティのセリフがありますが、ロンドンの婦人たちの医療事業団というのはその見習い看護婦たちのことだと思います。


<ブラック・スーツ>
アルバートさんはギャングではないのに「黒いスーツ (ブラック・スーツ)」を着ていました。
原作者や作画家が、ただ単にアルバートさんをギャングと間違わせるために黒いスーツにしたのだと思いますが、 ギャングではないアルバートさんはなぜ黒いスーツを着ていたのでしょうか? 当時ビジネスマンが黒いスーツを着て仕事をすることはあったのでしょうか?
『スーツ=軍服!? (彩流社)』によると、「ブラック・スーツ」はアメリカでは1950年頃までは会社の取締役の儀礼服だったとあります。
日本では冠婚葬祭というイメージがありますが、今でもニューヨークのウォール街ではビジネススーツとして着ると書いてあるサイトもありました。
原作者がそこまで知っていたかはわかりませんが、史実的にはアルバートさんの「ブラック・スーツ」はよしということで。


<一般人の服装>
キャンディの時代の頃まで、シカゴのあるイリノイ州では女性の服装を取り締まる法律 (25年間) があったそうです。
「スカート、ペティ・コートは裾が地上より15センチ以上は不可」、「あまりにも短い袖とデコルテは不可」、「公衆の面前で頭部と腰部の間の肉体を魅せつけた場合は25ドルの罰金」など。
参考文献   『水着の文化史 (木村 春生 著) 現代創造社』

この本には「法律としてはあった」とのみ書いてあるだけで、実際に取り締まっていたかどうかはわかりませんでした。ただ、どの本にもキャンディ時代の女性のファッションは保守的で、スカート丈はこの法律のように長くて露出は少ないとの記述がありました。
女性の社会進出が進み、ファッションが開放的になるのはキャンディの最終回から2年後の、第一次世界大戦が終わってからのようです。



1913年のアメリカが舞台。
労働者階級に生まれた少年が上流階級のスポーツであるゴルフで、並み居る強豪を抑え見事優勝を成し遂げるという実話の映画化。
当時の人々の服装・話し方など、1913年という時代を再現させたそうです。
【ファッション関連のキーワード】
労働者階級の服装



<20世紀初頭のロンドンのファッション>
当時のファッションの流行は「パリ」→「ロンドン」→「ニューヨーク」の順だったようです。



主演: ジョニー・デップ
1903年のロンドンが舞台。
当時のロンドンの上流階級のファッションや劇場の様子がみごとに再現されていると言われています。
【ファッション関連のキーワード】
ロンドンのファッション


・キャンディはタイタニックが沈没した8ヶ月後に船でロンドンへ


主演: レオナルド・ディカプリオ、ケイト・ウィンスレット
1912年の大西洋上の豪華客船が舞台。
【ファッション関連のキーワード】
上流階級のファッション/コルセット



<20世紀初頭のアフリカ植民地のファッション>
アルバートさんはアフリカのどの国に行ったかはわかりませんが、『愛と哀しみの果て』は、ちょうどアルバートさんがアフリカにいた頃のイギリスの植民地であるケニアの話なので参考になるかと思います。
普段はサファリ色(アースカラー?)の綿・リネンなど柔らかい素材のカジュアルな服を着ていますが、やはりヨーロッパの上流階級の人々なので、きめるときはビシッと正装しています。
※「サファリルック」は1969年にイヴ・サンローランが発表し流行。



20世紀初頭 (1913年〜) のアフリカのケニアが舞台。
実話を元にした映画。
当時のケニアを忠実に再現。(ホテル・銀行・病院・教会・店・コーヒー農園など) 車・飛行機・機関車マニア必見らしい。
【ファッション関連のキーワード】
第一次世界大戦の頃のアフリカにいたヨーロッパ人の服装/
イギリスからきた自由に生きる冒険家の服装



<アール・ヌーヴォー>
19世紀末から20世紀初頭にかけて、アール・ヌーヴォー様式のS字型ドレスが流行しました。キャンディでは、1巻でラガン夫人が着ています。
コルセットによりウエストの細さを強調し、胸と腰を張り出させたSカーブ・ラインのシルエットが特徴。



1893年のアメリカが舞台。
アルバートさんが子供のころ。
【ファッション関連のキーワード】
アール・ヌーヴォー様式のS字型ドレス/労働者階級の服装



<キャンディの最終回以降>
第一次世界大戦後から大恐慌直前のバブル時代 (1918年〜1929年) は「ジャズ・エイジ」といいます。
いままでの上品で保守的なタイプとは正反対の「フラッパー」と呼ばれる新しいタイプの女性たちが出現します。ファッションはアール・デコが流行。(管理人はアール・デコというと大正時代のモダンガールのイメージが...)
コルセットはしなくなり、スカートの丈はアメリカ史上初めてひざ下くらい短くなりました。

「ショートボブにクロッシュ帽をかぶり、ストンとした長いドレスを着てネックレスをいくつか重ね、チャールストンを踊り、酒やタバコも...」
キャンディの世界からは想像ができませんね。

スカート丈について法律で規制しようとした動きもあったようです。
ユタ州議会は、「足首から3インチ(9.9センチ)以上短いスカートをはく女性に罰金」という法令を出そうとしたり、オハイオ州議会では、足の甲までとどかないようなスカートの女性は公の席に出さないようにしました。教会関係では服装改善委員会などというものを結成しましたが、女性たちはそんなものは無視。1929年には膝上まで短くなったそうです。

・20年代ファッションを見るのにお薦めなのが下記です。


主演: ロバート・レッドフォード
1920年代ニューヨークの上流階級が舞台。
アカデミー賞の衣装デザイン賞を受賞。(1920年代のファッションを見事に再現しているそうです)
【ファッション関連のキーワード】
ギャツビー・ルック/フラッパー/フランネルスーツ




主演: アンジェリーナ・ジョリー
1928〜1934年のロサンゼルスが舞台。
実話をもとにした映画。
働く女性・ラジオ・電話・街の様子・当時大流行の真っ赤な口紅のメイク・ファッション・映画の話題など。
エキストラを含む出演者の衣装やロサンゼルスの町並みは、当時を正確に表現するためにかなりリサーチしたようです。


紳士服のスーツは『アンタッチャブル』(1930年代前半)、『スティング』(1930年後半)などがお薦め。
『アンタッチャブル』はイタリアのデザイナー ジョルジオ・アルマーニが衣装を担当。1930年代のコスチュームを忠実に再現したそうです。




髪型

キャンディの時代にはショートヘアは印象が悪かったようです。
ショートヘアが流行したのはキャンディの最終回以降の1920年代。 (当時の映画女優がしていたボブカットが大流行)

<縦ロール>
キャンディのような髪型の20世紀初頭の女優を探すのは至難の業ですが、イライザのような縦ロールがトレードマークの女優がいました。
メアリー・ピックフォードは1909年に映画デビューし、『足長おじさん』や『小公女』などが当たり役で無邪気な少女役を演じていました。映画界初のビッグ・スターと言われ、出演料は、1909年は週40ドルで、1911年には週275ドル。1917年のボーナスは年315万ドルだったそうです。
1929年にアカデミー主演女優賞を受賞。





化粧

20世紀初頭、キャンディの時代では化粧品は高級品で、上流階級など一部の女性のみのものでした。
1920年代から口紅やおしろい・頬紅が流行するので、一般大衆が化粧をするようになったのは第一次大戦後、キャンディの最終回より数年後です。
それ以前は、化粧をしていると身持ちの悪い女というイメージを持たれていたらしいです。
キャンディの時代で化粧をしていたのは、舞台女優や上流階級の女性、そしてと身持ちの悪い女(売春婦など)。
キャンディの登場人物でいうと、エレノア=ベーカーやスザナ、ラガン夫人などでしょうか。エルロイ大おばさまはどうだろう!?(笑)
20世紀初頭、雑誌『レディース・ホーム・ジャーナル』の化粧品広告は、化粧をしていることを気付かれにくいことを宣伝文句にしていました。ナチュラルメイクが売りだったようです。20年代後半になるとその逆になり、真っ赤な口紅などはっきりしたメイクが流行。

<20世紀初頭の化粧品>
20世紀初頭の化粧品はどんなものだったのでしょうか?
『メークアップの歴史 (リチャード・コーソン 著)』に当時の『ヴォーグ』の記事や広告が載っていました。

【1903年】
・白粉の代用品として使われる「液体化粧品」を掲載。
 つけているかどうか見分けられないので、おしろいが嫌いな女性にすすめている。
・紙おしろい「ジャワ白粉ブック」を紹介。
 紙白粉以上に便利で申し分のないものはないと述べている。
・口紅用の赤鉛筆

【1907年】
・5番街のルイ15世様式のサロンで行なわれる15分間の美容術について掲載。
 若返りのためにニューヨークへ行けない人のために各5ドルでクリームを販売。
・マニュキュア液を紹介
 まだあまり知られていなかったので、マニュキュア液とはなにかを読者に説明している。

【1913年】
専用のパフと鏡のついた固形白粉と頬紅の小箱を紹介。固形白粉の小箱は婦人たちの必需品になってきたと述べている。

当時のアメリカでは危険な薬品(鉛・水銀・砒素など)を使った粗悪品もあり、それを規制する法律も整備されていなかったため、誇大広告にのせられて健康被害をうける女性たちも少なくなかったようです。


<有名女優の美しさの秘密>
有名女優がどんな化粧品を使っているかなど、その美しさの秘密は、当時ヨーロッパやアメリカの女性たちにとって関心の的でした。
1913年、当時アメリカでも大人気のフランス人女優サラ・ベルナールの美容法が美容関連の本で紹介されており、「美容風呂」や「皺取り」など具体的な成分が書かれていました。


<ブランド>
19世紀末、化粧品の多くは輸入品でしたが、20世紀初頭にアメリカブランドの化粧品が登場します。
「エリザベス・アーデン」と「ヘレナ・ルビンスタイン」は、日本でも有名なアメリカの化粧品ブランドです。どちらもニューヨークにサロンを開き、そのあと化粧品会社へ。

【エリザベス・アーデン】
1910年、カナダ人であるフローレンス・ナイチンゲール・グラハムは、いとこから6千ドルを借り、「エリザベス・アーデン」の名でニューヨーク5番街に美容院(ビューティ・サロン)をオープン。6千ドルを4室の美容院の備品を整えるのに使い、4ヶ月で全額返済したそうです。すごいですね。
※参考:当時一般市民の年収
     農業=336ドル、学校職員=492ドル、産業=630ドル (1910年)
エリザベス・アーデンのサイトによると、1912年「ニューヨークで貴族階級の顧客たちに紹介し、舞台女優専用のものであったポイントメイク製品はまたたくまに流行の先端となった」とある。

【ヘレナ・ルビンスタイン】
ヘレナ・ルビンスタインのサイトによると、1915年のニューヨークでのデパート販売は世界初とある。

【ポンズ】
1846年のニューヨークでセロン・T・ポンズが、世界初の美容液として“POND'S EXTRACT”を発売。
それまでの動物性のスキンケアアイテムとは違い植物性の製品であることが画期的で、アメリカ製化粧料として初めて広く一般に普及したものの一つだそうです。
1907年に「ポンズ コールドクリーム」を発売。
キャンディ世代には前田美波里の「私はポンズ」のCMでおなじみ。




メガネ

<ファッションとしてのメガネ>
レイクウッドのアードレー家の別荘の3階にあるシルクハットをかぶったろう人形は、「単眼鏡」をしています。単眼鏡は19世紀半ばのリンカーン時代にはやりました。
1903年の『ニューヨーク・ヘラルド紙』に、ニューヨークやシカゴの社交界の女性の間で、「単眼鏡」が一時的に流行したとあります。当然目が悪いから掛けていたわけではなく、こういう風変わりなものはエキセントリックで魅力的、そして美しさを増すと考えられていたらしいです。金の細線細工が施されていたり、宝石がちりばめられたり、結構高価なつくりのものでした。
その後1910年代は、夜会服に相応しい型とされていたべっ甲製鼻眼鏡 (鼻の根元に挟んでかける眼鏡)や、 当初医者や弁護士といった人たちがしていた、がっしりしたべっ甲製フレームの大型円形眼鏡が流行しました。
社交界で流行したべっ甲鼻眼鏡は、踊っている間は「紐で首に下げチョッキのボタンに鼻眼鏡を掛けておく」とある。
利口そうに見えるべっ甲大型円形眼鏡は学生にも人気があり、ハーバードやヴァッサーの多くの学生が掛けていたらしいです。



<サングラス>
サングラスの原型は19世紀末ヨーロッパで登場しましたが、アメリカでは1885年にフィラデルフィアで琥珀や雲母の代わりにガラスを使ったサングラスがはじめて開発されました。
サングラスが普及し一般的になったのは、キャンディの最終回より10年以上後。
1930年にレイバン(ボシュロム社)が軍用サングラスを開発。パイロット用ゴーグルの下に着用する遮光眼鏡でした。
1937年に「Ray-Ban」のブランドが登場。アヴィエイター(飛行士)のティアドロップ(涙滴)型が大ヒットしました。 (※GHQの指令官だったマッカーサー元帥が愛用していたモデル)




ファッション雑誌

<ヴォーグ>
1893年 アメリカで発刊。
当初は社交界の情報誌またはセレブ向けゴシップ誌。
「薄い小さい版の週刊誌で、もとはといえば、ニューヨークのハイカラな生活の記録として企画されたもの」と書いてある本もありました。
1909年 ファッション誌として生まれ変わる。
その後も上流社会の貴婦人たちの写真をたくさん掲載。
自国アメリカのファッションではなくパリのファッションを紹介。
映画スターなどを掲載し、一般の人たちも読者となっていく。
1916年 イギリス版を発刊。
1922年 フランス版を発刊。

ヨーロッパの貴族階級が没落してきた19世紀末〜20世紀になると、アメリカの新興成金がヨーロッパの貴族の位を買うようになります。
アメリカの大富豪の娘のコンスエロ・ヴァンダービルトがイギリスのマールバラ公爵と結婚。
『ヴォーグ』はコンスエロの選んだ婚礼用の下着のスケッチを掲載しました。(1895年)

<ハーパーズ・バザー>
1867年にニューヨークで創刊。
1904年には、100万部に達した初めてのアメリカの雑誌といわれた。
日本版は2000年に出版されています。


<レディース・ホーム・ジャーナル>
1883年に創刊。
女性の家事全般の情報だけではなく、ファッション関連記事も多かったようです。
アメリカ史の本や資料、展覧会にはよくこの雑誌がでてきます。



その他

<アメリカの服飾産業>

【ミシン・既製服】
19世紀後半〜20世紀初頭のアメリカのファッション産業の発展はヨーロッパとは違う流れだったようです。
ヨーロッパ(パリ、ロンドン)といえばオートクチュール(注文服)でしたが、キャンディの時代にアメリカでは上流階級の人たちが輸入品を買っていたことを除けば、一般大衆は古着か家庭で手作りしたか工場で生産した既製服を着ていました。
※既製服のデザイン: 基本的にはパリでは流行っているものをアメリカで大量生産。

 ・ミシンの改良・特許・普及 (1850年。シンガーが現在と同じ構造のミシンを発明)
   ↓
 ・洋服の型紙の発明 (1863年)
   ↓
 ・既製服 (1900年代)
   ↓
 ・工場で大量生産

※手動ミシンの値段: 25ドル(1900年)

【アメリカの服とヨーロッパの服の違い】
『既製服の時代 (家政教育社)』によると、1910年に中流階級の日常生活を描いた本にヨーロッパとアメリカの服の違いが記述されており、その本によると、ヨーロッパとの価値観の違いからかヨーロッパでは手作りが良いとされていたようです。アメリカの服は機械作りで安くて実用的。(機械で作られていたので)きちんとしていて着心地がよい。ただし生地はヨーロッパよりは悪く、アメリカの婦人はイギリスの婦人より1枚の服を長く着ないとある。

【キャンディ時代の流行の既製服】
1900年代に、「シャツブラウス」が流行。アメリカファッション史始まって以来、初めての「全国的」なヒット。
「ラッパー」が流行(ゆるやかな婦人用室内着。床までの長さの段々スカート)
衣服は購入するものになりつつあった。
家庭用ミシンも普及していたので、まだ家庭で服を作ったり直したりしている家もあった。
1910年代、婦人服産業は1900年代の2倍に発展。

キャンディとアニーが着ていたおそろいのストライプのワンピースは、ポニー先生とレイン先生のお手製だそうです。(『キャンディ・キャンディ・ボックス』の作画家インタビューより)
「家庭用ミシン」は子供たちの服を作るために、ポニーの家では必需品だったかもしれませんね。



参考文献   『コルセットの文化史 (古賀 玲子 著) 青弓社』
『水着の文化史 (木村 春生 著) 現代創造社』
『メガネの文化史 (リチャード・コーソン 著) 八坂書房』
『スーツ=軍服!? (辻元 よしふみ 著) 彩流社』
『都市を翔ける女 (海野 弘 著)平凡社』
『メークアップの歴史 (リチャード・コーソン) ポーラ文化研究所』
『アメリカ婦人既製服の奇跡 (ジェシカ・デーヴス 著) ニットファッション』
『既製服の時代 −アメリカ衣服産業の発展− (鍜島康子 著)家政教育社』