年表
フランスの激戦地(西部戦線)とイタリアの激戦地(イタリア戦線)第一次世界大戦の戦場のほとんどが北フランス(西部戦線)・ロシア西部(東部戦線)・バルカン半島でした。空の戦い第一次世界大戦の初期には飛行機は偵察用としか使われていませんでした。敵機に遭遇した時には、のんきにハンカチや手を振り合って別れの合図をしたりと、両軍のパイロット間に「空の友情」が芽生えていきました。 そのころはまだ戦闘機に機銃は搭載されておらず、パイロットは操縦席にピストルや機関銃を持ち込み出撃していました。 記録に残る最初の空中戦は1914年8月14日。その2ヶ月後の10月5日に空中戦による初の犠牲者が出ており、「フランス機により機関銃で撃墜されたドイツ軍飛行士の胸ポケットにあった母あての手紙は、フランス軍飛行機によって近くのドイツ軍飛行機基地に届けられ、撃墜された2人のドイツ兵はフランス軍により軍人としての栄誉をもって丁重に葬られた。」というような話があります。歩兵部隊の塹壕での凄惨を極めた戦いとは違い、パイロット達は「空の騎士」と呼ばれ、大戦初期のころはまだ敵への憎しみ抜きの戦いであったようです。 機銃が搭載された戦闘機の登場はステアが戦死する少し前の1915年7月で、ドイツ機のフォッカーE(アインデッカー:単葉機)に装備されました。フランス機では1916年1月のニューポール11に搭載されるのですが、このドイツの新型機は西部戦線上空で猛威を振るい、あまりの強さに連合軍側に「フォッカーの懲罰」などと言われて恐れられました。 このころから多数機撃墜者のエース(撃墜王)が登場します。 マンガで登場する戦闘機は、ステアは「スパッドS.VII」でドイツ軍の凄腕ハーディは「フォッカーD.VII」のようです。どちらも第一次世界大戦の代表的な名機です。 マンガでは敵機を撃つことができなかったステアの性格を、当時の風潮であった空の騎士道風エピソードを使い描いています。当時は少女マンガらしからぬ空中戦シーンと、ステアが敵を撃てないシーン、敵でありながらステアが撃たれた時のドイツ軍パイロットのハーディの表情が印象的でした。 原作はマンガとは違っていたらしいです。マンガのように誰だかわからない人に撃たれて死ぬのではなく、敵の凄腕パイロットと対戦して、気を許したときにそのパイロットに撃たれて死ぬことになっていたそうです。キャンディではステアに割けるコマはわずかだったので、戦争の過酷さとステアのステキな甘さ(戦争のすさまじさを理解しながらもどこか人間的に甘い−やさしさ)の方を書きたかったとか。(※『まんが原作者インタビューズ』より) 個人対個人の空の戦いは1915年までで(ステアが戦死したころ)、1916年からは大規模な組織対組織の戦いに変貌していきました。 フランス軍では、エースを集めた「コウノトリ大隊」、アメリカ人パイロットで編成された「ラファイエット飛行隊」などが活躍します。(中立宣言しているにもかかわらず、アメリカ人の飛行隊が戦っていることに対してドイツは中立違反と抗議している) ドイツ軍ではガンダムのシャアのモデルとも言われている撃墜王リヒトホーフェン率いる「リヒトホーフェン・サーカス」が活躍。 前線パイロットの平均寿命は数週間と短かったのですが、それでもパイロットにあこがれて志願するものが後を絶たなかったようです。 (※リヒトホーフェンは真紅に塗った機体を駆り、「レッドバロン(赤い男爵)」の異名で呼ばれ、撃墜数は第一次世界大戦最多を誇る80機。敵味方問わず敬意を表された。 原作者のエッセイによると当時のノートに「ハーディ、レッドバロン...」とか殴り書きしてあるらしいので、原作ではハーディのモデルはリヒトホーフェンなのか? 余談ですが、スヌーピーは空想(妄想?)の世界で宿敵レッド・バロンと戦っている。撃墜王スヌーピーは「フライング・エース」という異名をもち、愛機「ソッピースキャメル」(本当は犬小屋だけど)で空中戦を繰り広げる。 リヒトホーフェンは最強の宿敵キャラのモデルのようです。) <エース−撃墜王> エース(撃墜王)とは敵機を5機以上撃墜したものに与えられる称号。 撃墜機数ではよく「公認」などと書いてあるものがあります。 どんなものが撃墜スコアとして公認されるのか、当時フランス軍のコウノトリ大隊にいた日本人飛行家の滋野清武(バロン滋野)が母親にあてた手紙に詳細が書いてあります。 [公認の条件]
参考文献 『バロン滋野の生涯 文藝春秋』より
プロパガンダ「第一次世界大戦でドイツは武力戦では連合軍に劣るところはなかったが、イギリスの、といわず世界最強力のタイムス紙(The Times)」の言論の力には、力が尽きたという話がある。ドイツの廃帝カイゼルは、第一次世界大戦終結のあと『余は戦争に負けたのではない。ドイツが唯一のタイムスを持ち得なかったためだ』と語ったということである。」 『アメリカ新聞史 ジャパンタイムス』 より
第一次世界大戦は、メディアが戦争に参加して、その影響力の大きさを国家が武器として利用しはじめた時代でした。 プロパガンダに最も力を入れたのがイギリスで、最も成功したのもイギリスです。 次にあげるのは第一次世界大戦で行われたプロパガンダの例です。
中でも有名なものは、イギリスが世界に向けて発信し日本でも報道されたものでドイツの「死体製油工場」の話というのがあります。内容は「ドイツは窮乏して人間の死体を搾って油をとりシャボンを作っている」というものでした。 <アメリカの報道> 開戦後すぐにアメリカの各新聞社の特派員達が前線に送られますが、記事の制限、検閲、作戦行動等で活動が妨げられ、ニュースの獲得が困難な状態でした。 そのため、新聞に載るニュースは送れ気味になり、前線の記事よりも後方の軍事評論家の記事の方が多く掲載されていました。 アメリカ参戦後は、アメリカの作戦部隊と行動を共にすることができたのですが、報道記事はすべて軍部の検閲局を通じて送られることになります。 戦争活動と戦争目的に反対する者は有罪として処罰されました。 アメリカのメディアは大戦の初期には中立性を守っていました。 「嘘らしい本当と本当らしい嘘」というイギリスの作為的なやり方はアメリカではあまり受け入れられなかったようです。 しかし、次第に反独・親英仏へと向かっていきます。アメリカ国民は新聞報道の影響でこの戦争を善と悪との単純な戦いと見るようになっていきました。 参考文献 『プロパガンダ戦史 中公新書』
『メディアは戦争にどうかかわってきたか 朝日新聞社』
『アメリカ新聞史 ジャパンタイムス』
志願兵<アメリカの若者の志願理由>アメリカ国内での戦意昂揚の影響もあり、戦争に志願したアメリカの若者の多くは、ステアのように「愛する人のふるさとを守りたい」や「戦争を終わらせるための戦い」など聖戦的な崇高でロマンティックなものを思い描いていました。 また、そのような理想を抱くと同時に、志願理由として「世界ではじめての大きな戦争を、自分の目で見てみたい。見逃せない。」という冒険を求める的な別の動機もあったようです。中には「モテたい」、「仕事がない」、「家がない」なども。 しかし、彼らは実際に戦場に赴いてみて、自分が思い描いていた輝かしいものとはまったく違ったものであることに気づき、悲惨な現実を知ることになるのです。 【戦争に志願した有名人】
<ステアのフランス軍への志願> 「アメリカでもイギリスでもなく、なんでフランス軍なのか?」 子供の頃は疑問に思っていても、まあいいやで済ませてしまっていました。(そんなことよりもキャンディとテリィの事の方が重要なので) 大人になった今、読み返してみるとやっぱり気になってしまいます。 フランスが戦場になっていたからか? でもイギリス軍もフランスで戦っていたのでイギリス軍でもいいんじゃあないか? そこで、ステアが志願した大戦初期頃の各国の状況を調べてみました。
当然のことながら、フランス語が話せないと入隊できません。 聖ポール学院ではフランス語の授業があったので、ステアはなんとかなったのでしょう。 <フランス軍に志願した日本人飛行家たち> 第一次世界大戦でフランス軍航空隊に志願兵として入隊した日本人パイロットは8名ほどいました。 滋野清武(バロン滋野)は、エース中のエースを集めたエリート飛行隊(通称コウノトリ大隊)で活躍し、フランスの最高勲章であるレジオン・ドヌール勲章を授与されています。 彼は外国人でありながら、フランス軍から将校としてフランス人の部下をあずけられ、面倒見もよく信頼も厚かったようです。 フランス軍への入隊は1914年の12月なのでちょうどステアと同じ時期になります。 <アルバートさんの戦争への志願> 「どうしてイタリアに? アフリカにいたんじゃなかったの?」 キャンディもマンガの中で疑問に思っていたシーンがありますが、なぜアフリカから突然イタリアなのでしょう? まず、アルバートさんは本当に志願したのか? マンガでは、記憶が戻った時の回想シーンで「自分は戦争に志願して」とあるので志願したようです。 小説では、アルバートさんからの手紙の中で「記憶がまだぼんやりとしているところもある」と語っていますが、「そろそろシカゴに帰るかと列車に乗った」とあり、志願していない様子。(それとも志願したことは内緒にしてるのか?) どっちなのでしょう? マンガと小説では設定が違うのか? このあたりについては原作者に聞かないとわかりません。 とりあえず、志願した場合としていない場合の2パターンでイタリアにいた理由を無理やり考えてみました。 【志願した場合】 実際にはイタリアはまだ参戦していないのですが、メリー=ジェーン校長が「従軍看護婦をイタリアへ派遣」、アルバートさんが聖ヨハンナ病院に運ばれてきた時に「イタリアの激戦地」・「イタリアの野戦病院」とあります。 マンガではイタリアはすでに参戦していて戦争中という設定か? だとすると、志願後にイタリア戦線へ向かう列車で事故にあったのかもしれません。 志願時期は、野戦病院を転々とまわされ船でアメリカへ送られてシカゴに着くまでの日数を考慮すると、開戦後すぐに志願したことになるかと思います。 志願した動機についてはマンガに描かれていないのでわかりません。 でもプッペを戦場に連れて行こうとするなんて許せませんね。 【志願していない場合】 小説に「勝手きままにぶらぶら歩いて」とあったので、シカゴに帰る前にただ単にイタリアを旅行していただけなのかもしれません。アフリカではイギリス領のケニアにいたとしたら、スエズ運河を通る船がローマに寄港していたと思います。 あと可能性としてですが、史実どおりイタリアが参戦していなかったとして、 「中立国の船でしか帰る手段がなくなってしまった。」というのがあります。 開戦時、実際に起こっていた出来事として、以下のようなことがありました。
ステアたちは開戦前にエルロイ大おばさまによってアメリカへ戻されているのでぎりぎり間に合いました。エルロイ大おばさまの判断は素晴らしい。 しかし、アルバートさんは開戦後にシカゴへ帰ろうとしたので、イギリスやフランスの客船は運航していない。 そこで、まだ参戦していない中立国のイタリアから帰るつもりだったと考えられます。 (※当時イタリアでは、ジェノバ港を出航してナポリを寄港しジブラルタル海峡を通過する ニューヨーク航路でアメリカへ向かう移民船がでていた。) 私としては、動物好きのアルバートさんがプッペを戦場に連れて行くなんて考えられないので、志願していなかったと思うことにしています。 そうなると、マンガの志願していたという回想シーンの理由が... 記憶が戻ったばかりで混乱していたということに。 日本の第一次世界大戦第一次世界大戦で日本は開戦時から参戦国となりましたが、兵はヨーロッパには送っていません。日本軍はドイツの極東根拠地・中国の青島(チンタオ)を攻略し、ドイツ兵4700人は捕虜として日本各地にある収容所に送られました。 映画「バルトの楽園」は、その徳島にある収容所で日本で初めてベートーベン作曲『交響曲第九番 歓喜の歌』が演奏された話を描いた作品です。 「はいからさんが通る」の吉次さんの恋人(少尉の友達)は、この大戦で出兵し青島(チンタオ)で戦死しています。 アフリカの第一次世界大戦第一次世界大戦では、ヨーロッパだけではなくアフリカの植民地も戦場になっています。イギリス・フランス軍は開戦後に原住民に対して徴兵を行い、ヨーロッパの戦場またはアフリカのドイツ領へと兵士を送り込んでいます。 当時アフリカのケニアに住んでいた、映画「愛と哀しみの果て」の原作者である女流作家アイザック・ディネーセンと夫は、デンマーク人でありながらイギリス軍に協力し、夫は居留地のイギリス人達とともにイギリス領とドイツ領の国境の偵察隊に参加。ディネーセン本人もイギリス政府のために自ら物資輸送を行っています。 結局のところ、アルバートさんはあのままアフリカにいても、戦争に巻き込まれていたのかもしれませんね。 ・1914年頃のアフリカ (アルバートさんがアフリカに行っていた頃) <アルバートさんはどこの国に行ったか?> まんがにも小説にもアフリカとしか書いてありません。 野生動物といったらケニアだろうと思っていましたが、野生動物の生息地の世界最多は、南アフリカにある国立公園だそうです。 どちらもイギリス領なので、行くとしたらケニアか南アフリカの可能性が高いと思います。 (※当時、南アフリカは人気の渡航先で、イギリスからホワイトスターライン社の南アフリカ行きの船がたくさん出ていました) 戦地からの手紙 - 軍事郵便戦地の兵士と本国の人との間に交わされる郵便物を「軍事郵便」といいます。キャンディ・キャンディでは、ステアとフラニーがフランスの戦地に行っていたので、アメリカではなくフランスの軍事郵便事情を調べてみました。 <フランスの軍事郵便の歴史> ・フランスは軍事郵便の先進国。(ナポレオンの頃から) ・1831年 軍事郵便は制度としてフランスで確立。 ・1841年からは切手による前払いの郵便制度が施行。 ・1870年 普仏戦争から切手なしの郵税免除になった。 ・第一次世界大戦から、検閲制度は常識となる。 (それ以前は機密保持の概念があまりない) <普通の郵便との違い> ・「検閲」が入り戦地の情報を書くことはできない。 ・承認印や軍事郵便印など、封書に印がたくさん押される。 軍事郵便印 → 「POSTE AUX ARMEES」 承認印 → 自由の女神の座像の周りに部隊名などの文字 例: ○○フランス軍事顧問団/第408航空部隊司令官 ・切手に加刷したものを下士官や兵に「月2通」に限り無料で配布。 ※ 加刷 -> フランスでは 「F.M.」 (軍事郵税免除の意味)。日本では 「軍事」 配布されたもの以外の郵便は自費。 <野戦病院からの郵便> ・大半は自由の女神の座像の承認印が押されている。 ・赤十字の赤いマークの入った封筒なども使用していた。 【戦死】 イギリスでは、戦場の受け取り人がすでに戦死していた場合、「KILLED IN ACTION」(戦死) と書かれて差出人へ返送されたそうですが、 パティがステアに出した手紙が行き違いになっていたとしたら、フランス語で同様の文字が書かれたものが戻ってきていたかもしれません。行き違いといっても戻ってきたのは荷物だけでしたが・・・(涙) 【検閲】 ステアはあやしい発明品 (空飛ぶ帽子) をアメリカにいるパティへ送っていましたが、「検閲」大丈夫だったようですね (笑) どうやって説明したんでしょうね? 使ってみせたのでしょうか? ドミイがかぶって (笑) 第一次世界大戦では軍事郵便だけではなく、国際間の郵便物にも必ず検閲が行われていました。 小説版ではキャンディはイギリスへ (ジャスキンさんやカーソンさん、シスターグレーにまで) 手紙を書いていますが、もし出した時期がまだ戦争中だったなら、検閲が入っていたかもしれません。 戦時中とはいえ、大事な手紙を他人に読まれるのなんていやですねえ。 |