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船 

 「アメリカ(ニューヨーク)→イギリス(サウサンプトン)まで何日かかったか?」

<豪華客船>
『なかよしまんが新聞』によると、キャンディが乗った船は「モーリタニア号」。
  →「モーリタニア号」の写真
※史実ではモーリタニア号のキューナード社(英)は、当時サウサンプトン港ではなくリバプール港を使っていた。
サウサンプトン港を使用していたのは、「タイタニック」のホワイトスターライン社(英)。

  →「キューナード社」と「モーリタニア号」の当時の資料(パンフレット等)

キューナード社では、「モーリタニア号 (1907〜1935)」、大戦中にドイツのUボートに撃沈されアメリカ参戦の一因ともなった「ルシタニア号 (1907〜1915)」、「アキタニア号 (1914〜1950)」の3隻の姉妹船で「北大西洋航路定期便」として週一便の定期運航を行っていました。

当時は豪華客船ブームでニューヨーク-サウサンプトンまたはリパプール間を行き来しており、各船会社が豪華さとスピードを競っていた時代でした。
特に、キャンディの乗った「モーリタニア号」は、豪華さではタイタニックと同レベル。速度では世界最速の船で、1909〜1929年までの20年間、大西洋最速横断記録 (ブルーリボン賞) は破られず、5〜6日で大西洋を横断していました。

気になる運賃ですが、タイタニックでの乗客別運賃が書かれたサイトがありました。(Encyclopedia Titanica
ただこのサイトでは当時のポンドで書かれているため貨幣換算が面倒です。そこでWEBで検索してみたところ、「サウサンプトンからニューヨークまでで、最も豪華なDデッキの1等スイートルームで片道4350ドル、現在の日本円に直すと約850万円である。3等は片道36ドル (約7万円) だった」という記述がありました。
ほかに「1等特別室は一般市民のほぼ10年分の生活費に相当した」と書いてある記事もありました。そうなると3等も結構な値段になりますね...
こういうときにジョルジュは何等に乗るのか疑問に思い、Encyclopedia Titanicaで何かないか探してみると、職業欄というのがありました。使用人・家庭教師等も主人と同じ1等に乗っていたようです。


<貨物船>
キャンディはイギリスからアメリカへ帰るときに貨物船に乗っています。(密航)
当時の貨物船が何日かかったかの資料がみつからなかったので、とりあえず速度で出してみることにします。
まず、タイタニック級の船が22ノットで7日かかっていました。
タイタニックの近くにいながら救助に向かわなかったとして有名な貨物船「カリフォルニアン号」は14ノット。
キャンディの乗った貨物船が同レベルだとして、早くて11日くらいかなと予想します。


飛行機

<免許>
当時、万国飛行協会(現在の国際航空協会)が「万国飛行免状」を発行していました。
第1号の資格取得者は英仏海峡横断に成功して有名になるルイ・ブレリオ。(1909年1月7日にフランス飛行クラブ発行)
日本人では1911年11月8日に徳川好敏(陸軍大尉)、1912年2月19日に滋野清武(民間初)がフランス飛行クラブで、1912年4月27日に近藤元久がアメリカ飛行クラブで、磯部鉄吉がドイツ飛行クラブで免許を取得しています。 (※各国とも試験内容は同じらしい。)

飛行機の操縦は、飛行学校で習う派と自作・独学派に分かれていたようで、ステアは自作・独学派だったようですね。


<パラシュート>
1912年3月1日アメリカのミズーリ州のジェファーソン・バラックス基地上空で、初の飛行機からのパラシュート降下に成功しています。
女性初は翌1913年で、スタントウーマンが成功しています。
マンガでは、ステアがキャンディを乗せてアードレー家の敷地を飛行したとき、ステアお手製のパラシュートを使用していました。1914年なので、あと1年早かったらキャンディは女性初でした。おしい。
しかし、その後のフランスでの戦闘シーンでステアはパラシュートをつけていません。
実際にはどうだったのかというと、大戦末期の1918年春にドイツ軍が使用していたという記録があります。連合軍側では気球からパラシュートで脱出している写真は見たことがあるのですが、戦闘機での記録は見たことがありません。パラシュートが使用されるようになったのは大戦後からというのが一般的なようです。


<戦闘機>
マンガで登場する戦闘機のモデルはこの2機のようです。
第一次世界大戦の代表的な名機なので、映画にもよく登場します。




鉄道

 「当時の鉄道の旅はどんなだったか?」

「線路はつづくよどこまでも」の歌で有名な大陸横断鉄道
1869年に開通してからも多くの鉄道会社が線路の建設を続けています。
キャンディには手紙のシーンがたくさん出てきますが、この鉄道網の発達のおかげで郵便物の配達日数が大幅に短縮されました。
1900年代に入ると小包郵便制度が始まり、荷物を郵便局まで取りに行かなくてすむようになりました。アルバートさんがロックスタウンから春用のコートをキャンディに郵送していますが(ジョルジュが贈ったんだろうけれど)、荷物はちゃんとアパートに届いています。

鉄道シーンがたくさんありますが、駅が出てくるのはシカゴとニューヨークくらいでしょうか。
シカゴにはいろいろな鉄道会社がハブ駅として線路を延ばし乗り入れていたようです。
現在の駅は「アンタッチャブル」の階段のシーンで有名ですが、1925年に創立なのでキャンディに出てくる駅はその前の古い駅になります。
キャンディではシカゴ駅とはっきりわかるシーンが2つあります。
一つはキャンディがテリィに会いにブロードウェイに行くシーン。
シカゴ駅名が書いてある看板をみるとノーザン・パシフィック鉄道を使っていたようです。
当時のノーザン・パシフィック鉄道にニューヨーク行きがあったかはわかりませんが、どこかの駅経由でしょうか? でもテリィが決めたので文句は言えません。(マンガにテリィが鉄道マップをみてキャンディの乗る汽車を決めているシーンあり。子供のころはスザナに気をとられていて気づきませんでした。)
キャンディは朝一番の汽車に乗って2時(ニューヨーク駅の時計)に着いていたようなので、30時間以上かかって行ったことになります。けっこう大変な旅です。しかも帰りは雪の中デッキで熱を出して倒れていたし。

参考までに、当時速度と豪華さを競っていたニューヨーク・セントラル鉄道の「20世紀特急」とペンシルベニア鉄道の「ブロードウェイ特急」がシカゴ−ニューヨーク間(およそ1,500km)を20時間で運行しています。

もう一つはテリィがシカゴの慈善公演が終わって出発するシーン。
駅名が書いてある看板がキャンディがブロードウェーに行ったときのとは違うようなので、別の鉄道会社か? (地方公演の途中なのでニューヨーク行きではないようです)
汽車が新型のようなので、キャンディが乗っていたのより速くて乗り心地はいいはず。