<船>
||| 豪華客船 |||
1912年、これから処女航海へと出発する豪華客船。
タイタニック号の事故後のためか、救命ボートがたくさんあります。
船内はレストランだけでなく、デッキにも入れます。
このディズニーシーのS.S.コロンビア号の全長は140m。
キャンディが乗った「モーリタニア号」は全長240.8mなので、この船より「約2倍」の大きさを想像してみてください。
実際のモーリタニア号の写真
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||| 貨物船 |||
『セント・エルモ号』
ST゜ELMO
ハドソンリバードックの33番埠頭に停泊中の貨物船。
この貨物船は「トランプフレイター (Tramp Freighter)」と呼ばれるタイプの船で、決まったスケジュールやルートをもたず、依頼に応じて荷物を運んでいるそうです。
キャンディが密航した貨物船はもう少し大きいように思います。
S.S.コロンビア号をもう少し小さくした感じでしょうか。
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以前、ディズニーシーに行ったときはS.S.コロンビア号の近くに、タグボート (曳航船) があったのですが、なくなっていました。残念〜。どこへ行ってしまったのだ、戻ってこ〜い。
マンガではジャスキンさんの船はタグボートではなく荷物を運ぶ船でしたが、ディズニーシーのタグボートは大きさや形がなんとなく似ていました。
※キャンディは荷物にまぎれ、そのタグボートみたいな感じのジャスキンさんの船に運ばれて、ニーブン船長の貨物船に密航。
<ホテル>
マンガにはテリィが手配したホテルにキャンディが宿泊している場面があります。さすがテリィ。落ち着いた雰囲気でけっこういい感じのホテルでした。(ヨーロッパの古典主義建築?)
「往復のキップ代とこちらでの宿泊費。どうにかなりそうだな・・・」というテリィのセリフや、同じ劇団員たちからは「金つかわないみたいだな」「ためこんでるってうわさだぜ」なんて言われていたシーンもあり、テリィはキャンディの旅費と宿泊費をかなりがんばって貯めていたようです。
キャンディが宿泊した「HOTEL ROYAL」は1泊いくら位したんでしょうね。
||| 豪華ホテル |||
||| 安いホテル |||
『セーラーズ・アームズ・ホテル』 SAILOR'S ARMS HOTEL
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船乗り向けのホテル。
3階の壁にはフィギュアヘッド (船首像)。
窓には1泊25セントと書いてある。 |
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【100年前のニューヨークにあったホテルは?】
「ホテルハイタワー」はディズニーシーのオリジナルですが、
下記は20世紀初頭に開業し、現在もニューヨークに実在する、歴史的な建造物としても有名なホテルです。
- チェルシーホテル - 1884年建造 (アパート)。1905年〜 (ホテルとして開業)
著名な芸術家や音楽家、文豪が滞在した。ビクトリアン・ゴシック様式。
- セントレジス - 1904年開業
アメリカ大富豪でホテル王アスターのジョン・ジェイコブ・アスター4世 (タイタニック
号で没) が建てたホテル。
ボーザール様式 (フランス古典装飾様式)。
- プラザホテル - 1907年開業
フランス・ルネッサンス様式の傑作。(ニューヨーク市の歴史的建造物)
ちなみに、「ホテルハイタワー」は、世界のさまざまな建築様式を取り込んでいるそうです。(ゴシック様式・インド風・ヒンドゥー風・イスラム風など)
ニューヨーク市保存協会によって、建造物として歴史的価値があるとして見直され、見学ツアーが開始されたというバックグラウンドストーリー。
<建築物>
||| 劇 場 |||
『ブロードウェイ・ミュージックシアター』
Broadway Music Theatre
石造りの荘厳な建物は、当時の典型的な劇場のデザイン。
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||| デパート |||
石造りの豪華な入り口など、19世紀〜20世紀初頭のアメリカ北東部で見られた建築様式が取り入れられているそうです。
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||| 古い建物 |||
アメリカンウォーターフロントで一番古い建物。外壁・屋根は長い間潮風にさらされかなり傷んでいる。
ロープやチェーンなどの船用品を売っているお店のようです。 |
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<交通>
20世紀初頭のニューヨークでは交通がめざましく発展。
ディズニーシーでは、クラシックカー (→車の普及)、「路面電車」の線路 (→路面電車の衰退)、電化された「高架鉄道」、「地下鉄」の入り口 (→地下鉄の普及) などが再現されています。
||| 高架鉄道 |||
19世紀から20世紀初頭のニューヨークで走っていた高架鉄道を再現。
蒸気機関ではなく、レールから電気を得て走るトロリー電車です。
うるさい音まで再現。
駅舎も、当時の高架鉄道駅を再現しているようです。
アメリカンウォーターフロントの駅舎だとわかりづらいですが、当時の駅舎の外観はリゾートラインの「東京ディズニーシー・ステーション駅」の駅舎と似ていると思います。(形はにてますが、ビクトリア王朝風だったかどうかは不明)
【100年前の高架鉄道は?】
ケーブルカー → 蒸気機関 → 電化 (1903〜) と発展。
マンハッタン島内の高架鉄道は1955年に全廃。
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余談ですが、『100年前のニューヨーク』という本に、「未来のニューヨーク」のイメージが描かれていました。 (原著はKING'S VIEW OF NEW YORKという1908年に出版された本)
高層ビルは「超」高層ビルとなり、高架鉄道はその「超」高層ビルの上を走る「超」高架鉄道となっている(笑)。当時はとにかく上へ上へという発想だったようです。
その「超」高架鉄道、乗ってみたいけど遊園地のジェットコースターよりこわいかも。
||| 地下鉄 |||
中には入れませんが、地下鉄の入り口がありました。
よく見ると、地下鉄の路線図が。
※IRT (当時実在した民間の地下鉄会社) の路線図のようです。
【100年前の地下鉄は?】
1904年にIRTがニューヨークに最初の地下鉄を開通。(詳細)
当時の地下鉄料金は5セントでした。
1906年の路線図を見てみると、1駅 (約4〜500m) の乗車時間は1分くらいだったようです。
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||| 車 |||
『クラシックカー/
ビッグシティ・ヴィークル』
数台あるクラシックカーは、どれも20世紀初頭のアメリカで見られたデザインの車だそうです。
写真のクラシックカーは運転席が外にあるブルーアム (brougham) というタイプで、お金持ちが乗った高級車。
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||| 路面電車 |||
『路面電車 - 電気はレールから』
ディズニーシーには路面電車はありません。あるのは「線路だけ」。
20世紀初頭、車の普及とともに路面電車は衰退。
写真の門には「MANHATTAN TROLLEY CO.」と書いてあり、この先は路面電車の会社の車庫のようです。
「不法侵入、立ち入り禁止」の文字が。
【100年前のニューヨークの路面電車は?】
マンハッタン区内では、景観重視の条例により 「空中に電線を貼ることが禁止」 されていました。
通常、路面電車というと「上には架線を張り、電気はパンタグラフから集電 (=架線集電式)」するタイプだと思いますが、ニューヨークのマンハッタン区内では、「地中に埋設した給電線から、集電靴で集電 (=コンデュイット方式)」 するタイプの電車でした。
敷設するために地面を掘らなければならなかったので、手間もお金もかかり大変だったようです。
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||| 馬車 |||
『馬車禁止』
ガイドブックによると、馬車通行禁止の標識があるそうです。
交通手段が馬車から車へと移り変わる時期でした。
その標識、探したけれど見つかりませんでした。どこにあるんだろう?
【100年前の交差点】
当時のニューヨークやシカゴの 「信号もなく人と馬車と路面電車ですごいことになっている交差点」の写真を見たことがあります。あれに車が加わっちゃったんですね。
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マンガにはキャンディが降りたニューヨークの駅がでてきます。駅の外観からすると「グランド・セントラル駅」のようです。グランド・セントラル駅はニューヨークセントラル鉄道 (鉄道王ヴァンダービルトの鉄道) の駅で、シカゴにも乗り入れていました。
ニューヨークのグランド・セントラル駅の駅舎は現在のものと同じで、1913年に建て替えられた二代目です。ボザール建築の歴史的建造物で、大理石の床に美術館のようなつくり。キャンディは建て替えた1年後に訪れたことになります。
(※残念ながら「グランド・セントラル駅」はディズニーシーにはありません)
<通り>
||| ストリート |||
||| 街灯 |||
よく見るとガス灯
| 『ガス灯から電灯へ』
20世紀初頭は電化が進み、街灯は「ガス灯」から「電灯」へ。
ここにはまだ一部「ガス灯」があり、まだ完全に電化されていない街の様子を見ることができます。
ブロードウェイでは電化が進んでいるためか、ガス灯はなく電灯でした。
アメリカンウォーターフロント内には変電所 (substation) があります。
(※私が行ったときは工事中だったため、写真はとれませんでした)
発電所からこの変電所に送られきた電気が、ここのレストラン・ショップ・街灯などで使われているのかもしれませんね。
【100年前の電気は?】
1882年、エジソンはニューヨークのパールストリート (ウォール街の近く) に世界初の発電所を建設。(2007年に閉鎖)
エジソンの電気は直流だったのですが、時代は交流へと変わっていき、エジソンは交流の電力会社に敗北。
20世紀初頭、そのニューヨークよりも上をいったのがシカゴなのですが 、書ききれないので別のページにまとめることにします。
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||| マンホール |||
『凍結防止の蒸気』
「ウォーターストリート」には "シューシュー" 音を出して蒸気を噴出しているマンホールがあります。
(映画やニュースなどにも出てくる冬のニューヨークの風物詩)
20世紀初頭のニューヨークでも、道路の下に配管され、アパートの暖房用スチームとして供給していました。そして現在も使われているそうです。
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マンガでは、キャンディとテリィは駅からアパートまで (ブロードウェイを通って) ドライブしてました。
テリィはどの辺に住んでいたんでしょうね。
◆ ◆ ◆
テリィと別れを告げたあと、キャンディは雪が降る夜のニューヨークを一人で歩いていました。
街灯は「電灯」よりは「ガス灯」の雰囲気です。マンホールがあったら蒸気がでていたかも。
冬の夜はアメリカンウォーターフロントの「ウォーターストリート」辺りを歩いてみてはいかがでしょう。
<広告・看板・ポスター>
ニューヨークにも実在するブロードウェイとデランシーストリートは現在も広告の多い地域。
地上を歩いていているだけだと気付かなかった広告も、「ディズニーシー・エレクトリック・レールウェイ」に乗るとよく見えておもしろい。
【新聞紙】
ホットドッグがくるんであった包装紙。
よく見るとアメリカンウォーターフロント内にあるお店の新聞広告がある。
※ホットドッグはニューヨークには19世紀後半からあり、1916年から「ホットドッグ早食い選手権」が始まった。
【野 球】
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ブルックリン, Redhookの球場で野球が開幕するようです。
THE FLASHBUTH SPORTSMEN
VS.
THE ALBANY APPLEKNOCKERS
当時こういうチームがあったのかどうかはわかりませんが、ニューヨークに「FLASHBUTH」・「ALBANY」という地名はあるようです。
でもこのポスター、ずいぶん色あせてるし、よく見ると「1911」年と書いてあるので、前シーズンのポスターですね。 (ここが1912年の再現だとすると)
♪ ♪ ♪
『私を野球に連れてって - Take Me Out to the Ball Game (1908) 』
大リーグで7回表終了時に歌う歌ですが、当時から歌われていたようです。
♪ ♪ ♪
マンガには野球はでてこなかったし、アードレー家とは無縁な感じのスポーツですが、アルバートさんは「茶髪・サングラス・髭」のころ、野球の試合を見に行っていたような気がします。
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<レストラン>
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「20世紀初頭の頃の劇場にくるミュージカルファンの常連客や、舞台役者両方のお気に入りの店となったデリカテッセン/古き良き時代のアメリカの雰囲気」をイメージしているそうです。(公式ホームページより)
【20世紀初頭からあったメニュー】
・ルーベン・ホットサンド (ニューヨークの定番サンドイッチ)
・ベーグル (ユダヤ系移民によってニューヨークにもたらされた)
・ニューヨーク・チーズケーキ ( 〃 )
【ダイニングエリアのディスプレイ】
・タイル張り (ニューヨークにある典型的なデリの雰囲気)
・小道具屋
・写真スタジオ (セピア色の古い写真など)
・コスチュームショップ (古典劇に使いそうな衣装や小物など)
・テイラーショップ (ミシンやアイロン、型紙など)
【20世紀初頭のミシン】
テイラーショップのエリアに飾ってあったこのミシンは 「シンガー社製 の Model 99 (1920年代〜1930年代)」 だと思います。
「ファッション」のページでも書きましたが、作画家のインタビューによると、ポニーの家の子供たちの服は先生たちのお手製。
この型は、キャンディの最終回から数年後に製造されたものですが、ポニーの家でもこんなミシンを使っていたのかもしれません。
【BGM】
当時流行していた曲が流れています。 (詳細は下記)
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<音楽>
アメリカンウォーター・フロントではいろいろな曲がかかっていますが、20世紀初頭の雰囲気を出しているのは「ラグタイム」です。
ラグタイムの黄金期は1899年〜1917年。ちょうどキャンディが生まれた頃から連載終了までの間です。
1915年頃から「ジャズ」が流行し、ラグタイムはジャズの一要素となります。
キャンディの最終回よりも後の時代のものになりますが、ディズニーシーのブロードウェイ・ミュージックシアターでは、1920年代〜1940年代に大流行したスウィングジャズのレビュー『ビッグバンドビート』を観ることができます。
ラグタイムとは19世紀末から20世紀初頭にかけてアメリカで流行した音楽のジャンルで、「酒場で黒人が演奏していそうなピアノの曲」と言えばイメージしやすいかもしれません。
ラグタイムの作曲・演奏家で一番有名なのは、スコット・ジョプリン(1868-1917)。
映画『スティング』やCMなどにも使われているので、曲を聞けば「ああ、あの曲か」とすぐわかると思います。
ラグタイムの曲は『ニューヨーク・デリ』などブロードウェイ近辺で聴くことができます。(ランドの方ではワールドバザールで曲が流れています)
※シーとランドで使われている音源→( The Red Back Book
)
マンガでは、ニューヨークでキャンディとテリィが入ったレストラン内にはかなりたくさんの「♪(音符)」マークが。もしかしたらこんな曲がかかっていたんでしょうか?
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ブロードウェイ・ミュージックシアターの前を通ったら、すごく懐かしい曲が流れていました。
ミュージカルの作曲家「コール・ポーター(1891-1964)」の 『ソー・イン・ラヴ』 という曲なのですが、キャンディをリアルタイムで読んでいた世代だったら絶対聴いたことがあると思います。
もともとは、ミュージカル『キス・ミー・ケイト (Kiss Me Kate)』の中で使われていた曲なのですが、それをオーケストラのクラシック調にアレンジしたものを 「日曜洋画劇場」 がエンディングテーマ曲に使用していました。
ブロードウェイ・ミュージックシアターの前でかかっていた曲も、オーケストラバージョンでした。
※このオーケストラバージョンはもう音源がないらしく(日本では入手困難)、CD化されていない幻の曲状態だそうです。
今よく耳にするジャズやミュージカルの曲はキャンディの時代にはなかったのですが、キャンディのその後の話があったら、出てくるかもしれませんね。
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